関わり方、終わり方

こんにちは、ふくおです。

今回が記念すべき10記事目ということで、これからどこまで続けていけるのか楽しみです。

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 「終わらせる力」

 何か新しいことを始めるっていうのはとても勇気がいることで、決して簡単なことではないと思います。けど、自分が始めた何かを終わる、終わらせるっていうのはもっと難しいことなんじゃないかって最近思いました。

 僕の場合だったらギターを弾けるようになりたいって思って、さんざん悩んだ結果、勇気を出してギターを購入し、練習し始めたものの、気がつけばなあなあで終わってしまってました。この例が適切かどうかは分からないけど、僕の人生で綺麗に終えられたものって案外少ないんじゃないかって思った。いろんなことに挑戦してきたけど、まだ続いているか、気がつけば終わってしまっているかどっちかで。

 まぁ続いているならいいんやけど、ひょっとしたら、続けていくことよりもきれいに終わらせることの方がすごいんじゃないかと思いました。

(これまた一つしょーもない事例なんですが、この前家の近くの公園で、友達と3人でフリスビーを投げていました。すると、その公園にいた小学生2人が僕らのほうを見てやりたそうに見ていたので、友達の一人がその少年たちに声をかけ、一緒に遊ぶことになりました。僕も子どもが苦手というわけではなかったので楽しく遊んでいたのですが、子どもというのは好奇心が旺盛な生き物で、遊べば遊ぶほどいろんなことを考え、実践し楽しむのです。そして僕はそろそろ違うこともしたいし、帰りたいなと思い始めたときでも、その少年たちは帰してくれず、結果3時間ほど遊んでしまいました。しかし、この遊びの最中、僕の友達のもう一人は「荷物を見ておくから」と言って全く参加せず、ベンチで寝ていました。あとでなんで参加しなかったのかと聞いたら、「俺はああいう子どもたちと絡んだ時に終わらせ方っていうのを知らないから、無責任に絡みたくはない」と言っていました。この言葉を聞いて、終わらせ方の重要性に気付き、今回の記事を書くことになりました。)

以上。

 

 今日の一句

「たんぽぽの 綿毛とともに 春が散る」

深い意味はないです、ただ「たんぽぽ」っていう季語を入れてみたくなっただけです。

失礼しました。では、また。